イマ

今だけの 私だけの感性で言葉を綴る

成長できたという証がなくてもいいのかもしれない

18という年齢で働いている私。

高専に行ったが、三年になる前後から

部活の人間関係がうまくいかなくなり

学校を休みがちになる。

また、

自分の勉強したいことが

高専では学べないに気づき

学校へ行く気を完全になくす。

それなら大学に行こうと 

休学し、

孤軍奮闘したのはいいが、

心の元気が失われたままだったこともあり

すぐに挫折。

寝て、食べてをただ繰り返す日々をおくる。

このままでは、いけないと

求人のチラシでみたある会社に

電話をし、働くことになった。

新聞配達を半月ほどやり

今は、毎日、掃除をしている。

時おりすれ違う制服姿の

同じ世代の人をみるたび

「自分はなにをやっているのだろうか」

と頭を悩ます。

そんな中、今日のお出かけ帰りに

中学の友達に再会した。

彼は、賢く、とても誠実で

信頼に値する人物だった。

久しぶりにみた彼は、

眼鏡をかけ、

少し声が低くなっていた。

とてもカッコいい声だった。

そんな彼と近況を話していると

「今は働いている」

と私は言った。

そうすると、彼は、驚きながらも

「おめでとう」

と言った。

私は驚いたというか、

拍子抜けしたというか、

ああ、そんな考え方があるのかと

私の胸にその言葉が降りた。

私は、本来、

この年であれば勉強しているはずなのに

働いていることを負い目に感じていた 

いや、この「本来」という言葉も

なにかにしばりつけられた

私の固定概念だろう

なんだか、胸があるべき位置へ

もどった気がした

そして、

私が追いかけていた

成長しているという証というものは

いらないのかもしれないと

思った。

それより、さらに、

成長すらもいらないのかもしれないと

思った。

そんなものを追いかけるより

ただ、生きればいい気がした。

友の言葉により、

私の心は軽くなった。

 

今日再会した旧友に感謝を述べて

終わりとする。

ありがとう、我が友よ